イギリスの医療と看護

看護師の社会的地位:日本とイギリスの比較【前編】

イギリス看護師の社会的地位

私は日本とイギリスの両方で看護師としての経験があり、よくイギリスの医療状況や違いについてよく聞かれる。多くの違いがあるが、その中でも大きな違いのひとつは看護師の社会的地位と病院内での地位である。今回は、日本とイギリスでの看護師経験をもとに両国での看護師の社会的地位についてシェアしていく。

イギリスで看護師になり一番辛かったこと

私は2021年からイギリスで看護師としてロンドンにある国営病院(NHS)で勤務している。海外での生活は刺激的で楽しい一面もあるが、異国の地で外国人として働くことには困難な瞬間もある。イギリスで看護師として働いて一番辛かったことを聞かれたら、私は「イギリスでは看護師の社会的が低いこと」と答える。

看護師の社会的地位

みなさんは看護師といえばどのような印象を抱くだろうか。私が日本で看護師を目指したときは社会的地位が高く、信頼されている職業という印象があった。人の命を扱うため大変さはあるが、不況に強く安定し女性でも稼げる職業だとも思っていた。一部からは誰でもなれると言われたり、しばしば性的に扱われることもあったが、全体的には看護師には良い印象を抱いていた。実際に看護師として働き始めてからも、その印象は変わらず社会に必要とされ多くの人から感謝をしてもらえることにやりがいと誇りを持っていた。

しかし、イギリスで看護師として働き始めてから看護師の社会的地位が低いことに気付かされることが何度かあった。たとえば、初対面の人に看護師であることを伝えると微妙な反応を受けたことがある。もちろん全員がそうではないし、患者からそういった態度をされることはまったくない。ただ単にそういう反応をする人は常識のない失礼な人というだけだ。ただ、こういった一部のネガティブな反応を何度か受けているうちに自分の看護師像が崩れていく感覚がした。

イギリスの階級社会

なぜイギリスでは看護師というと微妙な反応をされるのか。それはイギリスは階級社会であることが影響している。階級制度はイギリス社会を理解する上で非常に重要な要素のひとつである。階級によって使う単語やアクセント(方言)、買い物する場所、食べるものに違いがあり、教育や職業にも差がある。単に所得によって生まれる生活水準の差とは異なり、それぞれの階級の間に境界線がはっきりと引かれて人々が無意識下で比較し合っているように感じる。

個人的には、日本人としてイギリスで生活している限りでは階級社会を感じることはない。ただ、イギリス人のコミュニティやイギリス人の友人と深く関わると日常的に階級が意識されるような会話が出てきてイギリスの階級社会の根強さがうかがえる。

参考:英国の階級社会

イギリス看護師の社会的地位

イギリス看護師の社会的地位の低さの背景は歴史をさかのぼると答えが見えてくる。19世紀までさかのぼると、当時看護師は職業として確立されておらず世間からの印象も最悪なものだった。

そこで働く看護師も、教育を受けていない下位階層の女性たちで、患者に配られる治療用のアルコールを盗み飲みしては酔っ払っていたので、世間では最低の職業としてみなされていました。ーナイチンゲールの「看護覚え書」 イラスト・図解でよくわかる!より引用

引用をしたこの本は、ナイチンゲールが生きた時代背景や彼女の生い立ち、看護への影響が分かりやすく書かれていて看護覚え書をより理解するのに役立つ。ナイチンゲールの素晴らしさを再認識させてくれたお気に入りの一冊。

当時、イギリスの病院環境は劣悪であり、病院=死を連想させる誰も行きたがらない場所だった。また、看護は学問として確立されておらず清潔の観念もないような環境であった。

そのような状況を抜本的に改革して近代看護の基礎を創設したのがナイチンゲールである。時を経て、看護師が職業として資格化され医療と看護の発展とともに看護師へのイメージも改善していった。現在は看護師を最低の職業と思うイギリスは一人もいないだろうし、多くの人が社会に必要で重要な仕事であると考えている。

しかし、ナイチンゲールの改革のあとも階級社会の影響で「看護師は伝統的に労働者階級の職業」として国民に定着していったのではないかと思われる。さらに女性が多くを占める職業であったことから政府から正当な賃金で評価されていない。

イギリスで看護師として働くーデメリットと現実-はじめに先日、イギリスで看護師として働くメリットについて紹介した。 メリットがあれば、もちろんデメリットもある。SNSのおかげで海外で...

ちなみにナイチンゲールは貴族出身で当時は女性に教育を受ける権利がなく、いくつもの逆境があった。自分の信念を貫き、近代看護を創立した素晴らしい偉人を輩出した国で看護師が正当に評価されないのはとても残念に思う。

こういった歴史と階級社会から、イギリスにおける看護師は職業としてに悪い印象はないが、重労働にも関わらず正当な賃金をもらえていない職業と捉えられている。また階級制度が社会的地位の低さにつながり、私が看護師だと知ったときの世間の微妙な反応を表している。

政府から大切にされていないためイギリス人的には看護師は将来性のあるとは考えにくいし、積極的になりたいと思う職業ではないのだと感じる。現在、イギリスは4万人以上の看護師が不足していて成り手も不足している。2023年の調査では例年と比べて看護学科に合格した生徒数が12%減少し、さらなる不足が懸念されている。

参考:Number of UK nursing students plummets despite NHS shortages

私は人の命と生活を支える看護師という職業に誇りを持っている。自分の大切にしている職業が世間から微妙な反応を受けたことが屈辱的だった。移住当初は看護師であることでなぜ惨めな気持ちにさせられなくてはいけないのかと憤っていた。これは日本や他の英語圏の国ではないイギリスならではの経験だと思う。

誤解を招きたくないのでもう一度強調するが、イギリス人全員がそう思っているわけではなくごく一部の人たちである。たまたま私がそういう人に出会って不快な経験をしただけであり、日本人でイギリス看護師として働く私の友人が同じ経験をしているわけではない。ここには書かないが、看護師を見下す人にはある一定の傾向がある。そして東アジア人女性、移民という私の属性がネガティブな攻撃のターゲットにさせていたのかもしれない。あとは、イギリス人は日本の経済、技術、医療が非常に発展していると考えているので日本人があえてイギリスで働くことに疑問を持ちやすく、意外な反応をするのかもしれないとも思う。

私は、私

当初は日本との社会的地位の差に苛立ちと悲しみを感じていたが、イギリス看護師として3年目を迎えた今、気持ちは大きく変わった。イギリス看護師の社会的地位の低さは、イギリス看護師のせいではない。政府が看護師を正当に評価せず大切にしていないことに原因があり政府の問題なのである。結局のところ社会的地位は、外野が看護師(他人)をジャッジしたいだけだから「そう思うならご自由に」と思えるようになった。

私の好きなTVドラマ、セックスエデュケーションで好きなセリフがあるのでシェアしたい。

You shouldn’t ever give someone the power to humiliate you.

訳)自分に恥をかかせる力を他人に与えるべきじゃない

周囲に恥をかかせようとしたり、陥れようとしたりする人がいるかもしれない。恥をかかせようとしてくる相手には、線引きをして自分に恥をかかせない。この言葉に出会ってから悪意のある言葉をはねのけるのが上手くなった。

とはいえ、イギリス看護師の社会的地位の低さは改善していく必要がある。この責任を担っているのが労働組合でストライキや政府との交渉に奮闘している。

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ここまでイギリス看護師の社会的地位を話したが、次回は看護師の病院内の地位に目を向けたい。日本とイギリスでは看護師の病院内の地位に大きな差がある。その差はいったいどのようなものなのか。後編に続きます。

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Mari
Mari
日英看護師。2012年看護師免許取得。総合病院勤務を経てカナダへ医療英語留学を経験。2021年に渡英しイギリス看護師免許を取得。ロンドンNHS病院の循環器病棟に勤務。

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